【歴史好き必見!】義経最期の地・高舘義経堂【義経や松尾芭蕉も訪れた平泉一の絶景】

平泉に来たら、歴史好きにはたまらない場所がたくさんありますよね。その中でも今回注目したいのが悲劇の英雄こと、源義経。彼はここ平泉に深く関わった伝説的な武将で、数々のエピソードや謎が残されています。

今回はそんな義経の足跡を追いながら、平泉をもっと楽しめるヒントをお届けします。義経の生涯やゆかりの地を通じて、歴史のロマンを感じてもらえたら嬉しいです。

源義経(1159-89)とは?

源義経(みなもとのよしつね)は、平安時代の終わりに活躍した武将で、またの名を悲劇の英雄ともいわれています。

義経は、源頼朝の弟で、若い頃からその天才的な戦術で数々の勝利を収め、戦の天才とも呼ばれるほどでした。しかし、その人生は決して順風満帆ではなく、むしろ波乱万丈。敵だけでなく、慕っていた兄の頼朝とも対立することになり、最終的には悲劇的な運命をたどることになります。

特にここ、平泉との縁がとても深く、この地で藤原氏の保護を受けて一時的に平穏な時を過ごしました。しかしそれも長くは続かず、頼朝との関係が悪化して、ついには追い詰められてしまいます。

義経は平泉で最後を迎えることになるのですが、その最期は今でも語り継がれる伝説になっています。

彼が歩んだ波乱万丈の人生と残された謎は、今も多くの人の心を掴んで離しません。

義経、奥州平泉へ

【金売り吉次に連れられ平泉へ】

義経がまだ16歳の時、鞍馬寺での修行を終えたばかりの頃。亡き父の仇を打つべく平家討伐を胸に誓った義経は、金売り吉次という謎の男に伴われて藤原秀衡を頼りに、奥州平泉へ向かいました。平家討伐への助力を藤原氏に期待してのことだったのかどうかは定かではありませんが、義経の到着を知った藤原氏は風邪で伏せっていたにもかかわらず「嬉しいことだ」と起き上がって義経を歓迎したといわれています。まだ無名の若者だった義経ですが、ここで武士としての道を歩み始め、戦の腕をどんどん磨いていったそうです。

【謎の男・金売り吉次の正体は?!】

金売り吉次はその名の通り金の商人ですが、平安時代は金や漆、それを運ぶ馬の需要が高かったため、そういった漆や馬の商売もしていたらしいです。また、吉次は各地に沢山のネットワークをもっていたため「情報係」としても活躍していたらしいです。また、これもあくまでも伝説ですが、あの有名な「マルコ・ポーロ」は吉次の孫?!だったとの噂も・・・。金売り吉次、怪しすぎます・・笑 いずれにせよ、義経の旅をサポートしてくれた裏のヒーローであることに変わりありません。

義経と藤原秀衡の絆

平泉と義経の関係は、単なる逃避行の場だけじゃありません。実は、この地で義経は藤原氏との絆を築きました。義経が頼りにしていた藤原氏は、彼をただ受け入れただけでなく、家族のように温かく迎え入れてくれたのです。

そのおかげで、義経は青春時代、平泉で心穏やかな日々を過ごすことができました。

義経にとって平泉は心の拠り所であり、藤原氏との絆は彼の人生において大きな支えとなっていたのでしょう。

義経終焉の地 高舘義経堂

高舘は北上川に面した丘陵で、判官館(はんがんだて、ほうがんだて)とも呼ばれています。兄・頼朝に追われ、少年時代を過ごした平泉に再び落ち延びた義経は、秀衡の庇護のもと、この高館に居舘を与えられました。しかし、頼朝の圧迫に耐えかねた泰衡の急襲により、この地で妻子とともに自害したと伝えられています。丘の頂上には、天和三年(1683)仙台藩主第四代伊達綱村が義経を偲んで建てた義経堂があり、中には義経の木像が安置されています。

束稲山と北上川を一望できるこの場所は写真スポットとしても最高です!

高舘からの眺望は平泉随一といわれ、東にとうとうと流れる北上川、束稲山が見えます。また西からは、かつてその流域で前九年・後三年の役の戦いの場であり、弁慶往生の故事でも知られる衣川が北上川に合流しています。

夏草や 兵共が 夢の跡

松尾芭蕉が門人・曹良を伴い、平泉を訪れたのは元禄二年(1689)旧暦5月13日(6月29日)のことです。高舘に立ち、眼下に広がる夏草が風に揺れ光る様を眺めた芭蕉は、百年にわたり平泉文化を築き上げた奥州藤原氏の栄華や、この地に散った義経公を思い、この句を詠んだそうです。

平泉にお越しの際には、この高舘に立ち、約800年前にこの地で儚く散った義経を想いながら、松尾芭蕉になったつもりで一句詠んでみるのも素敵ですね。

義経は生きていた?謎に包まれた真実

悲劇の武将・源義経は、藤原泰衡に攻められ、衣川の持仏堂に火を放ち、妻子とともに自害し、31歳という若さでその生涯を終えたといわれています。

ところが死んだはずの義経が実は生きていて、北へ逃げたという「義経北行伝説」から、義経は大陸を渡りシベリアでジンギスカンになったという「義経ジンギスカン伝説」が存在し、「義経伝説の謎」として長く語り継がれています。

これらの伝説は果たして本当なのでしょうか?

真相は依然として謎のままです。

しかし、義経が北へ行ったという確たる証拠はなく、おそらくは人々の間で語り継がれるうちに、さまざまな伝説が生まれたのでしょう。

そして、義経が仲間を身代わりにして逃げるような人物だったとは考えにくく、もしそうであれば、弁慶もそのような義経に仕え続けることはなかったでしょう。

こうして時をこえて伝説となった義経の物語はこれからもずっと語り継がれていくことでしょう。

義経を感じるためのお祭り

【義経東下り行列】毎年5月3日

「源義経公東下り行列」とは、平安時代末期、兄の源頼朝に追われて平泉へ落ち延びてきた源義経を奥州藤原氏3代目の藤原秀衡が迎え入れたという歴史を再現したお祭りです。

詳しくはこちらのブログ記事を御覧ください。

https://hiraizu-meets.com/wp-admin/post.php?post=4687&action=edit

おわりに

この記事を書くにあたり義経堂を参拝してきました。

参拝した際に御朱印とおみくじをいただいてきました。御朱印は紺地に金色で義経堂と義経が描かれていて、とてもかっこいいので参拝記念におすすめです。また、おみくじの中には小さな護身刀が入っていました。護身刀は自分の身を守ってくれるので、お守りとしてお財布などに入れて持ち歩くのにぴったりですよ。

この日は残念ながら少し曇りだったのですが、それでも高舘から眺める景色はとてもきれいでした。晴れていたらもっともっと絶景ですよ!平泉を訪れた際にはぜひ義経堂まで足を延ばして、この景色に義経の面影を感じてみてはいかがでしょうか。